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バンドマン生活

雨に咲く花

「新潟の『香港』ですか」

 僕は歌手、井上ひろしさんに聞いた。

 新潟の「香港」とは、新宿「キャバレー風林火山」の姉妹店で新潟ではナンバーワンの規模を誇っていた「社交場」であった。

「いや、新発田です」

そうか・・・新発田にもあったのだ。店の名前は忘れたがたしかヤノピ(ピアノ)の松本さん、年のころは当時で六〇前後だったがなかなかハイカラな爺、いや、ピアニストだった。

松本さん、若い頃は東京でそうとう鳴らしたらしい。ヤノピの腕は田舎のバーキャレ(キャバレー)では勿体無いほどのグンバツ(抜群)だった。ビッグバンドと、コンボバンドのチェンジの時の「スターダスト」は今も耳に残っている。

その松本さんが高崎の「ニュージャパン」ができる前はその新発田の新宿風林火山のチェーン店にいたと言っていたのを思い出した。

 上越線。夜行列車ではないから上野発の最終「長岡行き」だろう。

その頃は「高崎始発の長岡行き」と云うのも一日に二往復くらいはあったろうか。長岡は距離にして二百キロくらい。もちろん延々十キロを越える清水トンネル「ループ式トンネル」を縫っての三国越え、水上から先は流石、日本国有鉄道の誇る「EF60」でも難儀のようで、高崎から長岡までは六時間はかかったようだ。

冬ともなればそれこそ「川端康成」の世界。「トンネルを抜けたらそこは雪国だった」である「三八豪雪」の時は列車は立ち往生、ラッセル車すら身動きできない状態だったと聞く。何でも長岡あたりでは三メートルを超える積雪があったらしい。

その当時は新潟へは殆ど夜行列車か、長岡終着で、多少の時間待ちをして長岡始発で新潟まで行く。結構旅も一苦労な時代だった。

「新発田へはよく行くんですか」

「そうね。新宿の店、高崎、新潟、新発田と同じ店だから、ゴトシ(仕事)はビータ(旅)になるね。三週間くらいの」

「三週間もですか」

「そっ、このルートだと富山、金沢、福井と北陸を回ってっていう所かな」

昭和三〇年代にビッグヒット、流行した「雨に咲く花」。

僕はショーがはねるとバンドのメンバー、スーベ(ベース)弾きの加部と駅近くの「富寿司」にその「雨に咲く花」で一世風靡をした、歌手「井上ひろし」さんを誘った。

 衣装かばんにオーケストラ用の譜面と衣装を仕舞、殆ど旅の365日だと云う。当時の「井上ひろし」さんは、既に「ビッグショー」ではなかったのでジャーマネ(マネージャー)。なしの一人旅だ。

「ビッグショー」と言えば、その頃は勝親太郎、鶴田浩二、ジェリー藤男、島倉千代子、都はるみ、流行では小山ルミなんて言うのもあった。

その合間を縫ってのかつての「ビッグ」。御三家の三田明、西郷輝彦、橋幸夫の「準ビッグ」。そして往年の「ビッグ」、井上ひろし、松島アキラ、梶光夫、井沢八郎、守屋ひろし、森山加代子、中尾ミエ、園まり、伊東ゆかりなどなどと、結構退きもきらずに往年のスターたちが出演していた時代だった。

 しかし「井上ひろし」、流石売れた流行歌手である。着ている物も相当に上等で、テレビで見た時のままの姿。
 多分僕より一回りほど年上だろうから三十も半ばではないだろうか。ショーのステージもいたって気品があり、ホステスのお姉さん達も十代そこそこの頃は熱烈のファンだったに違いない。バックで演奏する僕等にもその溜息は漏れ伝わってきた。

「井上ひろし」さんはそれきりだったが、同時期少し送れて「湖愁」で大ヒットを飛ばした「スピッツ」のニックネームの「松島アキラ」さんは何度か看板付きの「ショー」で来ていた。

「雨に咲く花」も「湖愁」もイントロとサビは「テナーサックス」の曲。

 時代の大歌手を見送りながら「昭和」の高崎駅にそのイントロが過ぎった。薄煙のような霧雨。まさに「雨に咲く花」のようなとばりが蒼くかすかにゆれていた。

およばぬこととあきらめました

だけど恋しいあの人よ

ままになるなら今一度

ひと目だけでも逢いたいの


  

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