「原山ギター製作所」

 

 原山さんは昭和2年生まれだといっていた。

「渡辺さんたちは若いでいいね」

 それが原山さんの口癖だった。何度足を運んでもその台詞は一度は必ず出る。

「オラが渡辺さんたちと同じくらいだったらまだまだやることいっぺえあるんだがね」

 その頃(昭和63年)穂高の「原山ギター製作所」は永年原山さんの所で修行を重ねていた「中村さん」が工場長として大体を取り仕切っていた。

「かあちゃん、中村君呼んでくれないかね」

 原山さんは色んなメーカーのネックの図面を見ながらそう言う。いつものことだ。

「さっき、そう云っといただで、シェクターの渡辺さんが来てるって」

「だで・・・・・中村君、手ぇ空いてるかね」

「空いてなんだら空いてからでいいせ。渡辺さん急ぐ旅ではないしね」

 ハハッと原山さんは笑いながらかあちゃんに〈早くしろ〉と、言うように目で合図しながら言った。

 原山さんのかあちゃんは小柄な、とても大人しそうな以下にも信州の「おかあちゃん」と言った趣。

 原山さんより2つ年上の「マツモク時代」からの戦友だと、「原山さん」笑って言ってたことがある。

 マツモクは信州松本の地場産業。なんでも戦後のミシン板の加工から時代の流れか持ち前の木工技術を生かして、その松本市周辺には楽器を専門にする工業団地までが今でもある。
 時代の衰勢かその「マツモク」、そして「富士弦」、ギター、楽器商関係のものなら聞きしに勝る業界トップのメーカーだが、片方の雄「マツモク」、それは今はない。 そんな「マツモク」で原山さんと、そのかあちゃんはミシン板の頃からの同僚だったようだ。

「かあちゃん、押しかけ女房でねっ、若い時はやきもち焼で大変だったっせ」

 原山さん、かあちゃんの方をチラッと見ながら言った。

「そっ、だから、今でも何処へ行くんでも一緒、父ちゃん危なっかしくって」

「いやー、母ちゃんいい加減にしてくれやい・・・もうそんな年でもねぇだで、はっはっはぁ―――」

と、原山さんは照れくさそうに笑った。

 そう・・・いつでも一緒にいる原山さんとかあちゃん。今は愛車パジェロを駆して休みには旅行三昧だと楽しそうに話していた。

「こんにちは、いらっしゃい…」

ぺこり、と挨拶をしながら工場長の中村さんが事務所に入ってきた。
 僕よりひとつ学年は下だと言っていた中村さん。

「中村君、シェクターさんのネック上がり具合どうだい?」

「あー、も少しほっといたのがいいんじゃねえかな」

中村さんは職人らしいと言うのかなんと云うのか、ただ不器用そうに話す。

〈真面目なんだがね…中村君。だで、中村君、営業でも出来たら俺んとこももちっと違ってたかも知れねえな〉
 いつか、原山さんはそう言っていた。

中村さんはほとんど口をきかない。無愛想と言うわけではないのだがとにかく無口である。

「渡辺さん・・・・工場の方に行ってみるかね」

 原山さんはそう言うと中村さんを横目で見ながら僕に言った。

「渡辺さん、どうだね今度のネック・・・いいのが入ったでねっ。これならシェクターさん間違いねえっせ」

 まだロッドが仕込んだばかりのびっしりと木目、バーズアイの詰ったネックが数段に分けられて並べられていた。
 工場の中では中村さんが僕らに目をくれることもなくロッドの溝切りに精を出していた。全部で6人だろうか、原山さんの娘さんと原山さんのお兄さんそして近所のパートのおばさんが二人。

 僕のところのシェクター以外はほとんど富士弦の下請け。エレキでは超一流メーカーのネックもひっそりとここ「原山ギター製作所」で作られている。「どこの」とは言えないが、ただ可笑しいのは別にネックとかの木工だけではなく金物から、ピックアップ(マイク)までほとんどここ、松本で作られているのだ。

僕はシーズン、シーズンでネックを仕込む事にしていた。当然、湿気の多い6月から9月半ばまでは避けるのだが、一度の仕込みで2立米程のメイプル材を調達する。

「渡辺さん、さっき北三の稗田さんから電話があってせ、極上のいいバーザイがへぇったって言ってただで、チョイト木場まで行って見て来てくんないかい、立米30万円程だって言うが…渡辺さんさえいいって言うなら、オラ、全部買っとくっせ。稗田さんには渡辺さんに電話させるから…それでいいかね」

 いいも悪いも無い、原山さんも、稗田さんもシェクターが中途半端な材を買わないことは百も承知だから。それに丁度「NAMM」用の材も心配していた所だ。

 原山さんの電話を置いてから30分としないうちにその稗田さんから電話が入った。

「渡辺さん、直ぐ見てくれませんか。僕の仕事で仕入れちゃったもんですから…渡辺さんとこが駄目だったら付板にしてパールさんに捌かなくちゃならないもんで」

 パールはドラムの胴回りのトップ材に「バーズアイ・メープル」を使う。しかし、パールともなると相当、買い叩かれるらしい。そこは「ドラム専門メーカー」叩くのは上手いようだ。

「稗田さん、その代わりバンドル解いて見せてよ。2立米なら、最低「AAA」50本は欲しいし」

「もちろんいいですよ、その代わり全部引取ってくださいよ、渡辺さん」

 北三は営業が買い付けもやるんだと言う。何度か極上の「パーシモン、ウォルナット、ホンデュラスマホガニー」で企画したとがあった。

「とも材」で作る最高の逸品。

「とも材」とはボディもネックも「マホガニー」と云った具合のもの、したがって、 マホガニーもウォルナットも良質のもので無ければならない。
 良質の木材はやはり買い手がそうはいない。しかも厚みが30センチ近く、長さが5メートルからある材だと用途に困るようだ。
 そのくらいの材になると輸入されてからもシーズニングに10年や15年は費やしている。伐採、製材、輸入までで楽に20年は「寝ている」だろう。
 さらに、初期加工の段階で、「天乾、人乾」を慎重にやらないと暴れて直ぐに「割れ」が入ってしまう。

ボディ材、ネック材に「木取」をしてさらに数ヶ月「含水率」を量りながら「天乾、人乾」を繰返す。木口から割れが入ってもいいように寸法を大きめに製材しておかなければならない。極めて「歩留まり」は悪い。間違って面に割れでも入ればそれだけでその材はお終い。
 あのヴァイオリンの名器「ストラディバリ」が一本の樹木から一台しか作れなかったと云う伝説も頷ける。

良質の「材」は拳骨で叩いただけでもその「鳴り」は伝わる。

樹木は根っ子の方は人減で云えば「老人」、中間部位で成人、先端へ行くほど少年幼年の成長期で含水率も高く、セルロース、樹脂質も完成されてない。

原山さんは云う。

「オラはネック作りが専門だが、下請け仕事は、材はメーカーが木取りしたのを支給するでロッドの仕込みとフレット打ちだけであとは磨き屋さん任せ、仕事としては面白くも何ともないがね」

 淡々と続ける。

「昔、『ハラマー』やってたときみてえに一本の物を仕上げるなんて云う面白さはないで…マツモクの時は『ガットギター』で労働大臣賞を貰ったな。あの頃は夢中だったで。仕事が面白くて、面白くて、オラ、別にギター弾けるわけじゃあねえがね、『鳴り』って云うのが分かってくる。あの頃は輸出が主だったけど、アメリカ人が来て『グッド』だなんて云っていい曲弾いてくれると嬉しくてね…」

 遠くを見つめるように懐かしそうに。

「何本作っても、同じもんを作らなくちゃあならねえだ。手と体が自然に覚えちまてるんだね。今でもそうせ、シェクターさんの握りはこうってね」

 シェクターのネックの握りは独特のものが在った。磨き前の刃物の当て方の微妙な差なのだ。磨きも相当に気を使う・・・・・

「花岡さんじゃあなくちゃあ出来ねえな。あの磨きは」

「花岡技研」の花岡さん。磨き一筋だと云う。やはり無愛想である、仕事の話以外は殆どしない職人気質。僕も長年通ったが話らしい話はしたことがない。

 花岡さんの磨きでほぼ、「シェクター」のネックは完成する。

「原山さん」曰く、

「オラの仕事は此処までだで」

 シェクターのネックの仕込みは一回に「ストラトキャスター、テレキャスター、ジャズベース、タイプ」を全部で100本ほどその部材によって、1ピースか指板貼用かに分ける。もちろん1ピースネックには指板面のわずかな傷、節、赤身も許されないから板材のケガキは慎重になる。

 問題はここからだ。

「ネック」は木理を見立て木取りをし、粗加工するのだが、その時点で相当に「暴れる」木材によっては刃物をあてひと削りしただけで空気に直接触れると動いたり、変色したりするのだ。

 そう云った材が入ると必ず電話が入ってくる。何故かと言えば、他のギターメーカーでは原価が高すぎて「製品」にならない。
 年に一度くらい極上の「カーリメイプル、キルテッド・メイプル」も入ってくる。当然板で入ってくるので、それもじっくり「木取り」をしながら買い付けることになる。


  

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