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「キャバレー「ニュー東京」
キャバレー「ニュー東京」は、バンマス(バンドマスター)が山村さん。山村さんはなんでも出身は山口県の呉とか言っていた。
山村さんはピアニストで、ちょうどあの頃は三〇代。バリバリの威勢のいい「バンマス」だった。
連日「ショー」で相当気が入っていたようで少々近寄り難い所があった山村さん。やはり「貴族院」の金井さんと一緒でその筋も一目置く存在だった。もっともあの時代夜の街で身体を張って仕事をするにはそれなりの度胸は必要のようだった。
山村さんのバンドはナーテ(テナー)に高橋さん、アルトが国鉄職員の長井さん、パツラ(ペット)がこれまた国鉄職員の絹川さん、スーベ(ベース)が僕とは同級生の加部だった。ドラムが同じく国鉄職員の秋山さんと、夫々が初見の譜面をこなす「音楽職人」。
そう、そしてチェンジのヤノピには本名は知らないが「ジョージさん」と呼ばれていたお兄さん。なんでも熊谷から通いで来ていたなんとも面白いピアノの先生だった。
「なべちゃん―――、シーチョーでいいからさ。シーチョーで。テンポだけ、テンポ」
〈シーチョー・・・ん、なにそれ?〉と、僕は面食らっていた。
ギョーカイ用語、符丁とでも言うのだろうか、なんでもその意味は「調子がいいやつ」の調子、それを「シーチョー」と言い、どうやら「適当に」と言う意味のようだ。
このバンドマンの世界、何でもかんでも逆さまに言う。それもただ逆さまに言うのではなく乗り良く、逆さまに言うのだそうだ。
例えばこんな具合にだ・・・
「今夜、ゴトシ、リーオワしたら、いつものセーミでパイイチ、ミーノする?」
翻訳するとこう言うことになる。
〈今夜仕事が終わったらいつもの店で一杯飲む?〉ってな具合に。
因みに、お金の勘定も「C、D、E、F、G、A、B、オクターブ」でそれに数字の単位をつけて言う。例えば、一万二千四百七五円ならば・・・・・
こんな風になる〈ツェーマン、デーセン、エフヒャク、ハージューゲー〉
最初はなんとも厄介な話だったが慣れてくると面白かった。
「みんな・・・今日からドーヌ(ヌードショー)。曲だけ決めといてメンフ(譜面)、メモでいくから」
バンマス、山村さんはカットグラスのオンザロックを「カラン」っと鳴らしながら言った。山村さん、朝から飲んでいる。もっとも奥さんがこのニュー東京の近くで小さな止り木だけのバーをやっていて、そこで既にパイイチやっているのがいつものことのようだ。 あっ、この「朝」と言うのはこの業界では店のオープンの頃の時間のことで夕方の5時くらいからのことだ。したがって、バンドマンの挨拶も夕方、夜だけど、「おはよう」と言うことになる。
〈ドーヌ、メンフ?〉僕がきょとんとしていると―――
「ここじゃあ大体が逆さまに言うんだ。まっ逆さまじゃあないけどね」と、テナーサックスを抱えた高橋さん。
ミュージシャン、楽士とでも言うのかみんなシャイで初対面は素っ気ない。余計なことはほとんど喋らない。みんなバンマスの話を聞きながらリードを削る長井さん、トランペットのバルブにオイルを点す絹川さん。それぞれが他の人をてんで気にしていない。
「おはようございまー――すっ」
「今日から一週間、ミレイさんね。みんなよろしくな」とバンマス。
「よろしくお願いしまー――す」
「メンフ――?」
「テンポとリズムだけですから。ラストは合図しますから、タイコさんお願いしまー――す」
「なべちゃん、合図もらったらバルシン(シンバル)、三つくれる」
バンマスの山村さんが平気な顔して僕に言う。
山村さんは僕のタイコを知っているには知っていたが、僕にしてみればキャバレーと言うかそう言うところで叩くのは高校の時の、伊香保グランドホテルのホール以来だ。
「大丈夫だよなべちゃん。シーチョーでいいからさ、シーチョーで」
〈そんな簡単に言わないで下さいよ・・・と、僕は胸の中でつぶやいていた〉
それを察してか不安そうにしている僕に山村さんは「ニコッ」と、いつものように顎を引いて「カッ」と笑って、「カリン」っとオンザロックを鳴らした。
僕の不安を他所に、相変わらず他のメンバーはもくもくと楽器の手入れに余念がない。
ジョージさん
なんとしても忘れられないのが「ジョージさん」。
気が向くとショーの合間に「日本舞踊」をやる。気が向くというよりはバンドのメンバーが面白半分に乗せるのだが―――
ジョージさん、自分で日本舞踊の「名取」だとか言っていたが誰も本気にしていないのが可笑しい。しかしジョージさんそんなことは一切お構いなしなのである。
いざステージに上ってスポットなんて浴びようものならもう止らない。どう見ても日本舞踊とは程遠いのだがそのジョージさん、ステージせましとばかりに、なよなよと品を造りながら踊りまくる、ちょっとオカマがかった異色なミュージシャンだった。
ジョージさんもちろんヤノピが本職なのだが、ドラムもやる。しかしどうもドラムはアンサンブルには合わない。テンポが無茶苦茶に速く、走ってしまう。
ある日のことだ。バンマスの山村さんがたまたまなんかの都合で休み、ジョージさんがヤノピのラートをやった時のことだった。
ナーテの高橋さんがバンマス代行で、
「じゃっ、バイミー、行こうか」
と、言いながらカウントを取る―――「バイミー」が始まる。
ワンコーラス、ツーコーラス、そしてフォーバスからテーマに戻りさらにワンコーラス。
高橋さんも人が悪い。メンバーみんな高橋さんのたくらみが分かっているから笑いを堪えるのが必死だった。
僕はドラムなのでピアノソロも休むわけには行かない、ずっとリズムを刻んでなくてはならない。ベースもそうだ。これから始まろうとしている、高橋さん演出の「ジョージショー」メンバーみんな下を向いてクスクス笑いを堪えきれない様子。
「ジョージさん、ソロッ」
と、高橋さん、ジョージさんに合図を送った。
さあ、大変な事になってしまった。ジョージさんがソロを始めるとドラムの時でもそうだが、いったん入っちゃうと止らない。誰がきっかけをつけようが止らない。ところがそれが面白くてバンドのメンバーみんながあおる。
ジョージさんはその気になってしまっている。顔面を紅潮させ引き攣ったようにして鍵盤を叩いている――――まさに叩いている。
そのうちに肘で鍵盤を、終いには脚で鍵盤を叩きだす始末。
突然、「ギャーーーーン」と鳴ったかと思うと・・・とうとうジョージさん、普通では切れることのないピアノの弦を飛ばしてしまった。
翌日、ジョージさん山村さんに大目玉を食らったのは言うまでもない。高橋さんを始め他のメンバーもたっぷりと山村さんに絞られた。
ジョージさん・・・〈私、知りませーーーん〉と言った風で横目でチラッと僕らを見ながら、
「行ってきま―――す」
スタスタスタと、そう言ってステージに上がった。
山村さんの「ニュー東京」は時々「トラ」で僕とか僕のドラムの大先輩の角田さんが秋山さんの代わりをしていた。
「ニュー東京」のショーは歌謡ショー、マジックショー、ヌードショー、漫才。
そうそう、それに「あなたのブルース」の矢吹健さんとか、「長崎の夜は紫」の瀬川映子さん、「東京の灯よいつまでも」新川二郎さんとかが「ニュー東京ビッグショー」の看板でよく来ていた。
夫々の芸人さん。やはり高崎の駅西口を停まりに数知れない人生劇場があったのではないだろうか。あの時のバンドのみんなも。そして、当然僕もそのひとりだが。
そう言えばジョージさん。
ジョージさんは毎晩、熊谷から通勤していた。
今頃どうしているだろうか・・・ジョージさん。
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