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サーカスの団長

 

記憶が確かであれば「沖電(沖電気)」のところの高崎線立体高架橋の工事にかかったのはその頃、昭和四〇年代初めではなかっただろうか。
 当時、沖電の周り中は「田圃」だらけで、昭和四七年頃には、その沖電横の広場で「キグレ大サーカス」の楽団をやったのを憶えている。「ニュージャパン」のバンドの頃だ。

その時僕はチェンジのコンボでドラムを叩いていた。バンマスは同い年の「田中」。この田中が器用な奴でフルバンでペットを吹いて、コンボではテナーをやる。
みんなはその田中を「デカタナ」と呼んでいた。デカタナと言うからには「チビタナ」もいた。

その「チビタナ」は同じ田中という姓でフルバンでテナーを吹いていて、「チビタナ」と言うだけあって実際チビだった。しかし「デカタナ」が当時の成人平均身長を越すほど者でもなかった。
 精々が一メートル六〇センチがそこそこの「デカタナ」なのだから、「チビタナ」は正真正銘の「チビタナ」であったことは言うまでもない。

「あちらのお客さん六七番テーブルの。バンドさんにチップだって・・・はいっ」

 社交のお姉さんがバンマスのデカタナにさりげなく。

「あとで席に来るようにですってこのバンドさん全員」

ステージの合間にテーブルにつけと言うのだ。

「なべちゃん、プーチ(プーチ)すげえぞ。頭、チェーマン(一万円)だぜ」

「あのクーキャ(客)ヤバクねえか」

 ベースの加部が言う。

「ヤバそうだな・・・どっかのザーヤク(ヤクザ)じゃあねえのか」

「だって、プーチ貰っちゃたもの・・・こんなに。行かねえ分けにいかねえだろ」

 ターギ(ギター)の桑さん。

かなりの体格。しかも皮製のスーツにハンチングで、おまけに体中を「金ぴか」に飾り立てている。

「オーウッ、座れ座れっ。遠慮すんな」

「こちらのお客さん・・・ほら、東口に今度来るでしょ。あのキグレ大サーカスの団長さんなんですって」

「オイッ、心配すんなぁ、俺はこれじゃあねえからよ」

 ガハハー――ッと笑いながらそう言うとほっぺの横を「スーッ」と人差し指で切る。

「まあ似たようなもんだけどな」

そう言うとまた、「ガハハー――ッ」と笑い女の子の肩を抱いて上機嫌だった。

そうか・・・サーカスの団長さんか。やはりこれくらいでないと団長さんやってけないんだろうなと変にみんな感心していた。

「実はよう、今度の高崎の公演でな、みんなにバンドやって貰いてえんだ。楽団連れてきても金かかるし、みんなにやってもらえればアゴアシいらねえしな」

 サーカスのバンドか・・・なんか面白そうだな。

 約二ヶ月間の公演で間休みなしだと言う。

「給料はずむぞっ、なんたってアゴアシなしだからな。一人七千円でどうだ。七千円」

「ハーセンーーー!」

「なんだ、ハーセンとは、七千円だよ、七千円、分けのわかんねえこと言ってんじゃあねえよ、7千円」

 その団長、僕らがきょとんしているので、面倒臭そうに言った。

「やっ、やっ、やります、やります―――っ、なぁっみんな」

「オウッ、やってくれるかーーーそいつは助かる。朝九時には入ってくれ、一日3回公演もちろん飯つき。六時にははねるからこっちには問題ねえだろっ。さあ、飲め飲め、さあっ」

 そんなこんなで「キグレ大サーカス」の楽団をやることになった。

「九時、六時かぁ、チョッときついけど稼げるな」

 当時は同い年の連中、サラリーマンでだいたい月給十万いけば御の字だった。
 僕らバンドマンは大体一四、五万は取っていた。昭和四七年頃の話だ。しかし、バンドマンには、もっともな話だがボーナスはないので実際のところはそう大差はなかったのかもしれない。 
 でもこの辺のバンドマン。当時二十代、三〇代の堅実な奴は当然昼間のゴトシ、結構まともな企業に勤めていて相当な稼ぎがあったようだ。どう言う訳か、国鉄の職員、ポッポ屋とか消防署の職員が多かった。

文句を言わずに昼間も勤めをすれば結構な収入になったことは確かだった。そこへ行くと僕らはいい気なもんで「ミュージシャン」を気取った太平楽、後生楽で、好きなことに明け暮れていた青春時代。
 それは丁度浅間山荘事件で世の中騒然としていたにもかかわらず考えてみればいい気なもんだったと今になって反省するが時は既に遅い。

それにしても、象の糞やキリンの小便には閉口した。臭いのなんのって半端じゃあない。特に難しかったのが「空中ブランコ」の決めの時のドラムの「タイミング」。そのタイミングが外れようもんならえらいいきおいで叱り飛ばされる。
 もっとも空中ブランコの兄さん姉さん慣れてるとは言え「命がけ」なのだ。

ところが台本では「外す」はずの「ピエロ」の決めが、決まっちゃったりすると、ピエロの兄さんからお小言。
 しかし大変だったけど面白かった「キグレ大サーカス」。そう誰もが経験できる話ではないが、そう自慢できる話ではないことも確かだ。

今では「コンピュータ」で何でもかんでもやっているらしい。去年も高崎のキリン麦酒工場跡地にその「キグレ大サーカス」がきた。その大サーカスもその頃の趣は消えていた。
 だいいち会場のチケット売りのお姉さんも、芸人さんも「東京ディズニーランド」のそれとほとんど違いがない。

僕らの時代、サーカスと言えば美空ひばりの「角兵衛獅子」ではないが、なんかおどろおどろしさを感じていた。

「言うこと聞かねえとサーカスに売っちゃうぞ」

なんて子どもの頃親父に脅かされたものだった。

そんな平成の「キグレ大サーカス」のテントの入り口で切符を買いに列に並ぶ子連れの僕がいる。

 ふとあの時の団長さんの怖い笑顔がよぎった。


  

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